人の不幸は蜜の味?

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画像はイメージです。 思考
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こんばんは。

以前にも時々書いてますが、人それぞれ幸せの感じ方は違うと思います。
それはそれでいいと思うし、違うはずだと思うのです。
(一時幸せについて考えなくなった時が本当に幸せなのではないかと考えてた時期もありますが、なんか微妙に違うと思い直してますw)

人間は悲しいもので人と比べて幸せを感じることも多々あります。
善人ぶってそれがないとは私は言いません。。。そういう幸せの感じ方もあっていいと思うんです。

ただ、この比較するというパターンで問題を感じる場合があります。
人と比較する際に自分より不幸な人を探す傾向のある人がいるんです。または不幸な話を聞いて幸せを感じる人。
これは問題です。

感覚で言うと表現しにくいですが、数字に置き換えると明快です。

例えば私の幸せ度が5だったとします。
私は幸せ度7の人や10の人を見ると少しでも近づきたくなるし、私単体でも5を6に、7にって上げていきたくなります。
まぁ、大方の人はそうだと思ってますが。。。

上で書いた不幸な人を探す傾向のある人の場合。。。
例えばその人の幸せ度が5だったとします。その人が6や7の人を見ると不快に思い、4とか3の人に近づいて安心感を求めます。
私はこの人たちより幸せだ。。。という感じです。

このパターンの人のメンタルをコントロールするうえで、一見ありと思う人もいると思いますが、私はこれは問題を感じます。
大方の人は自分自身がどんどん幸せになりたいと思う訳ですので、その人が今見てる4とか3の人にもいずれ追い抜かれることにもなりかねません。
その時にまた自分より不幸だと思う人を探すんですか?って聞きたい。
その考え方で幸せ度をあげることができますか?って。この考え方だと現状維持も結構難しいような気がします。

割とデリケートな話のような気がしますが、基本的に資本主義社会で生きていて、みんな幸せになる為に仕事をしたり、経済活動をする。消費活動をする。時々浪費もする訳です。
この流れがあるから企業による経済活動でS&P500のような指数が上下はあるもののずっと上がり続ける訳です。
つまり人は幸せになるために経済活動をしているというのが世界的に普通のことなのです。

仮にこの不幸な人を探す感覚で企業が活動していたとしたらどうなりますかね?うちの会社はあっちの会社よりマシな売上。。。?これはまずいですよね。

大体こう書くと今度は、このように思う人がいます。企業と人は違うじゃないですか。。。と。

じゃぁ、企業を動かしてるのは誰ですか?人じゃないんですか?その人たちが幸せになりたい→会社を大きくして評価されたいってなるのが普通ではないですか?人の集まりが企業です、なので法人なのです。
全く同じだとは言いませんが、私は同じようなものだと思います。
人のメンタルを無視しろと言ってる訳では決してないです、ただそのメンタルのコントロールの仕方を間違えてると思う訳で、その考え方は何の解決にもならないということが言いたいのです。

ちょっと重い内容の投稿かも知れませんが、大切な話だと思います。
不幸な人を探すこと、その行為自体、人を上から見てると思うんです。そうじゃなくて幸せを共有し、みんなそれぞれ上を向いて歩こう!
私はそう強調したいのです!幸せ思考の強いところに幸せは集まるのもまた真なりです。

では!

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