百万分の一の命

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おはようございます😊本で見つけたお話しシリーズ。

私の友人がメキシコを訪れたときの話だ。
夕暮れ時、人影の途絶えた海岸を歩いていると、遠くの方に誰かが立っているのに気づいた。近づいてみると、メキシコ人の男が何かを拾っては海に投げ入れていた。よく見ると、それはヒトデだった。男は、引き潮で波打ち際に取り残されてしまったヒトデを、一つ一つ拾い上げては海に投げ入れていたのだ。
どうしてそんなことをしているのだろうと不思議に思った友人は、男に話しかけた。

「やあ、こんばんは。さっきから気になっているんだけど、何をしているのか聞いてもいいかね?」
「ヒトデを海に帰してやっているのさ。見ろよ、たくさんのヒトデが波で打ち上げられて、砂浜に取り残されてしまっているだろう。おれがこうやって海に投げてやらなかったら、このまま干からびて死んじまうよ。」
「そりゃあ、もっともな話だが、この海岸だけでも何千というヒトデが打ち上げられているじゃないか。それを全部拾って海に帰してやるなんて、どう考えても無理な話じゃないかな?それに世界中には、こんな海岸が何百もあるんだよ。君の気持ちは分かるけど、ほんの一握りのヒトデを助けたって、何もならないと思うがなぁ。」

これを聞いた男は白い歯を見せてニッと笑うと、友人の言葉などおかまいなしに、またヒトデを拾い上げて、海に投げ入れた。
「今海に帰っていったヒトデは心から喜んでいるさ」
そう言うと、また一つヒトデを拾い上げ、海に向かって投げ入れたのだった。

全てのヒトデを救えないのだから、その行為は無意味である、一匹のヒトデだけを救うのは不公平である…これは屁理屈だ。その理屈は、自己欺瞞(自分の良心や本心に反しているのを知りながら、無理に正当化すること)の匂いを含んでいる。海に帰って行ったその一匹のヒトデが心から喜んでいるのであれば、その一匹のヒトデを救うことには意味があるのだ。

人間一人の力は決して無力ではない、微力なだけである。無力はどれだけ足し合わせても、掛け合わせても、その力はゼロのままである。それに対して微力を足し合わせたり、掛け合わせたりすれば、大きな力になりうる。

そう信じてコロナを乗り切る…。

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