小説から映画そしてネット

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おはようございます😊

“遅いインターネット“という本を書いた宇野さんという評論家の方が面白いことを言ってました。

私達の年代(私のようなおっさん世代、20世紀後半の世代)が何か話をするときの、例え話や価値の基準が映画やドラマなどのメディアが価値の基準になっていることが多いという話。
また、私たちの親の世代またはそのもう少し前の世代(20世紀の前半の世代)などは、話題や価値の基準が小説や新聞などの文字のメディアになっている。

今の子は、現代の若者たちは例え話、価値の基準などがネットになったと言うことです。(当然だと思うかも知れませんが。。)
学生の皆さんは生まれた時からネット環境があった若者がほとんどだと思います。ですので、何気なくネットに触れて、ネットの情報を元に友人と話したり、SNSでコミュニケーションをとったりしていると思います。(もちろんテレビも見てるとは思いますけど。)

無意識で使ってるネットが価値の基準になっている可能性があると言うことを意識しているかしていないかで、皆さんが自分自身の価値や自分物語を語れるか、発信できるかが変わってくると思います。
昔の文字のメディアや昔の映像のメディア(テレビや映画)は一方的な情報、すなわち受動的に受け取る情報で、今の皆さんとは環境が違います。
受動的な情報とはほとんどが他人の物語を見て、楽しんだり学んだりしているのです。しかしながら、今の若者の皆さんはネット環境にいますので能動的でも受動的でもある環境にいるんです。
つまり能動的に動く場合は、自分の物語を発信することができると言うことになります。折角、発信できる環境にあるのだから発信すればいいのですが、今度は別の問題が発生します。
要は能動的すぎると独りよがりの自分の物語を一方的に発信していることに気づかず生きる可能性もあるということが問題だということです。

結局どうするのがいいのかと言うと、受動的に他人の物語も見て、感じて考える。この考えるが必ず要るのです。(考えずに直感で、いいねとか共感するぅとかばっかりやってるとどんどん考えなくなって、他人の物語を生きていくことになるんです。)そして考えた後に、能動的に自分の物語として発信することがネット世代のコミュニケーション、価値作りと言うことになるのではと言うお話。

いい時代ですね😊
私も若者に混じってまだまだ学習し、自分の物語として発信していきたい😁

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