軸は自分

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画像はイメージです。 学び
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こんばんは。

”軸は自分の人生だと思うんです。仕事はその一部です。全てではないです。”

この話はよく聞く話だと思いますし、よく皆さん理解している、そりゃそうやって言うことが多いです。
が、本当にわかってますか?って思います。

これ言うと大体の皆さんそりゃそうですよって言うんです。
でも、実際はそうなってないことが多いと思います。

一生懸命仕事をすることは間違いなく正しいと思います。ただ、仕事は自分の人生や家族に豊かな暮らしを提供したり、幸せに暮らすため、収入を得るためのツールです。

仮に仕事が命と言うサラリーマンが居たとします。毎日毎日プライベートもほったらかして家族との時間も削って仕事に邁進し、そりゃお給料も上がっていくとは思います。
でもそれ、なんのために働いてるの?って思いませんか?
例えば、自分の貯金のためにどんな過酷な仕事も今は耐えてやるってのはアリだと思います。これは自分の為なので。問題はそれを見失ってしまう人です。

何度も同じことを言ってますが、やはり労働は自分の為であって、会社のために働くと言うのは二次的要素です。
会社のために働くから、結果自分のためにもなると言う考え方もあるにはありますし、完全に間違ってるとは思いません。しかし、そもそもは自分のために働いていることは揺るぎない事実です。

ですので、私は思います。働き方改革が必要なのではなく、生き方改革が必要なんです。
会社や経営陣は会社を存続させる為に必死になりますので、世間で働き方改革とか言っていても完全に改革することは至難の技だと思います。
でも、生き方改革は個人個人の考え方、気持ちの持ち方で改革できると思うんです。

もう一度自分の胸に手を当てて考えてみてください。軸は自分にあるか?自分を軸に判断できてるか?って。

でも、私が言っているのはいい加減に働いていいと言う意味で言っているのではないです。一生懸命働くことは前提としてあって、雇ってくれてる会社に感謝の気持ちも忘れず、それでも何かの判断をする場合、プライベートや家族のことを考慮しなくてはならない場合、軸を間違わないようにして欲しい。

自分は何を求めて生きてるのか、何が欲しいのか、どうなりたいのかをよく考えて仕事をするべきです。家族にもどうしてあげたいのか、どんな暮らしをしたいのかをちゃんとイメージすることが大切です。
ただ、漠然と毎月の給料のみを求めると言うのは、気付いたら自分はどこにいるんだ?ってことになります。
すぐに10年、20年経ちますし、何も考えずに一心不乱に働いて20年経った時に”あなたはもう必要ないです。代わりにもっと安くてエネルギッシュな方を代わりに入れます。”ってことは十分にあり得ます。

労働資本(ようは自分自身)は必ず老いがきます。限界があるんです。もちろん私はまだ40代なのでまだまだやれますが、あっという間に60がきて、定年がきてって言うことになったときに。。。またはそうなる前にポイって会社から放り出されたとしたら、食べていけますか?家族を養えますか?と言うことなんです。

自分に軸を置いて、自分の力をつける。。。会社で働いていても、常に自分の力を蓄える。これが絶対に必要で最も重要なリスク回避だと思います。なので自己投資は非常に重要です。

だらだら書いてますが、当たり前のことやんって、ここまで読んでも思うと思います。
でも、もっと認識して、理解しないとダメです。日々、隙間時間もあるし、だらだらしている時間もあるはずです。そのすべてを否定するつもりはないですがいくらでも自己投資して自分の力をつける時間やお金は捻出することができるはずです。
昨今、自分で命をたつニュースを耳にします。どんな理由があったかは知りませんが、自分以外のところに軸を置くとそうなる可能性もあります。周囲で起こった何かのウェイトの高いものがダメになったときに引っ張られる可能性があるからです。

究極の状態ではみんな自分のことを一番に守るんです。会社だって会社を守るし、友達だって自分を守ります。
だからと言って冷たいって訳ではないですよね。普通だと思います。

でもほとんどの人が自分自身そういう状況にならないと、そう思わない。

そうなる前に生き方改革。。。やってください。

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